クイーンズギャンビット解説 第1話 ーチェスプレイヤーの視点からー

昨年(2020年)世界中でヒットしたチェスをモチーフにしたドラマ「クイーンズギャンビット」ですが、我が家でも遅ればせながら鑑賞しました。ドラマの中ではチェスに関する用語などが多用されていますが、なんら説明がされていないことが多いです。アメリカ人の方なら分かるからとか、説明が入っているとドラマの雰囲気を壊すからとか理由は色々あると思いますが、チェスに馴染みのない普通の日本の視聴者には難しいシーンも多い気がします。本記事ではチェスプレイヤーの視点で説明を加えさせていただこうと思います。記事の内容上、ネタバレがある程度あるので、お気を付けください。

引用元「クイーンズギャンビット」 Netflix

クイーンズギャンビットとは?

まずはタイトルのクイーンズギャンビットって何?どういう意味?という話になると思いますが、チェスにおける定跡(最初どのように進めるかという手順)の名前です。具体的には下図の局面をクイーンズギャンビットと呼びます。白黒ともにクイーンの前(左から4列目)のポーンを突いており、白の方がcポーン(左から3列目)を突いています。チェスにおいて、ポーンは斜めに相手の駒を取ることができるので、今、黒は白のポーンを取ることができます。このようにポーンを犠牲にする指し方のことをギャンビットと呼びます。初手がクイーンの前のポーンを進めた手なので、クイーンズギャンビットと呼びます。

このクイーンズギャンビットという定跡、劇中でベスが得意としているわけではありません。むしろ彼女自身のことを暗示したタイトルであると考えられます。クイーンは女性を示唆しますし、ギャンビットは上記のように何かを犠牲することを意味します。タイトルには定冠詞「The」がついていますので、何かしら「特定の」クイーンズギャンビットと見てもよいでしょう。つまり、主人公であるベス・ハーモン(女王:クイーン)が何らかの犠牲を払って成長していくドラマであるということがタイトルからも示唆されています。

1967年パリ

まずは成長したベス・ハーモンが世界チャンピオンと対戦する直前のシーンから始まる第1話です。舞台は1967年のパリであることが表記されます。1967年という数字とパリという地名からは(私には)具体的な想起はありませんが、1960年代後半と言えばボビー・フィッシャーがめちゃめちゃ強かったころだな、ということがチェスプレイヤー的には思い浮かびます。アメリカ人の方なら一般の方でもわかるかもしれません。また、気になったのは13分ぐらいに幼いベス・ハーモンが「単項表現と対象表現」というタイトルの書籍を手にしているシーン。これは母親の博士論文ですね。娘のベスのIQの高さが示唆されるシーンになっています。実はこのこともボビー・フィッシャーと共通点があります。

このあたりのボビー・フィッシャーとの共通点については別記事にまとめてあります。

スカラーズメイト

母親が死に、孤児院で暮らすことになったベスは孤児院の地下で一人でチェスをしていた用務員のシャイベルを通じてチェスを覚えます。何度かのやり取りを経て、初めてシャイベルとチェスを指せることになったベス、たった4手でチェックメイトにされてしまいます。この時のチェックメイトの形がスカラーズメイト(学者のメイト)」だとシャイベルから告げられます。

恥ずかしながら、私はこのスカラーズメイトという名前を知りませんでした。上記のようなビショップとクイーンの配置でチェックメイトにする形全般のことを呼ぶそうです。ただし、地域によっては別の名前で呼ばれることもあるそうです(英語版Wikipedia参照)。また、この名前の由来については見つけられませんでした。

このチェックメイトの形、少しチェスを指した人であれば引っかからない手ですので、この時のベスはほぼ初心者、何も勉強しなくても強いわけではないのです。

パスポーンが止まらない

一度シャイベルと喧嘩をし、しばらくチェスの対局ができなくなってしまったベス、天井にチェス盤を思い浮かべて一人イメージトレーニングをします。

そして、久々にシャイベルと対局するとなんと勝ってしまいます。このあたり天才の予兆です。さて、その時の局面ですが、

画面から再現した局面が上記で、黒番(ベス)です。ここでベスはビショップでナイトを取り、ポーンを進めます。

チェスを知らない方であれば「なんかポーンを進めただけで勝ちになっちゃうの?」と思うかもしれないので、一応解説です。チェスにはポーンを一番遠くのマスに進めるとポーン以外のどんな駒になっていもいいという特別ルールがあります。今、ベスが進めたポーンは7段目まできてます。次の手で8段目に到達することを防げません。しかもポーンにナイトが取られそうです。

おそらく、この後を進めると以下のような図でチェックメイトになると思います。

シシリアン Levenfish variation

この後、ベスはシャイベルに初めて定跡を教わります。まずはシシリアンです。その次にそのシシリアンの派生形であるLevenfish variationを教わります。シシリアンは下記の形で、白黒それぞれ1手指した段階で名前が確定しています。

それに対して、Levenfish variationは実のところシシリアンのオープンバリエーションのドラゴンバリエーションの中のLevenfish variationで、いきなり随分高度な話に移っています。Levenfish variationは下の図のような形で、定跡としてすこしマイナーなラインかなと思います。



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モダンチェスオープニング

ある日シャイベルをチェックメイトして勝ったベスはシャイベルにチェスの本を渡されます。タイトルは「モダンチェスオープニング(Modern Chess Openings)」、チェスの定跡の辞典のような本です。この本と同タイトルの本は古くから販売されており、私もかなり昔に買ったことがあります。MCOという略称されるほど有名なシリーズで現在では15版が売られています。ただし、劇中に出てきたMCOが実際に売られていたものかどうかは私にはわかりませんでした。

また、この際シャイベルがベスにチェスのマスの名前を教えようと宣言します。このシーン以前にベスがマスの名前があるなら教えてほしいと言っているシーンがありましたが、この際にはシャイベルは教えてませんでした。彼なりに順序だててベスにチェスを教えていたのだと思われます。

ガンツ氏との対局

ある日、高校でチェスを教えているというガンツ氏をシャイベルから紹介されます。そしてベスの実力をはかるためにガンツ氏とベスが対局します。

白番黒番を決める

まずガンツ氏が白と黒のポーンをそれぞれ手の中に隠し、ベスに手を差し出します。ベスは意味が分かりませんでしたが、選んだ手の中のポーンの色でどっち番か決める所作でした。このようなやり方は一般的で、我々がチェスクラブで対戦するときなどにも行うことがあります。ただし、大会の時には正規の決め方があり、それぞれのプレイヤーの白番と黒番の数がほぼ同じになるように調整されます。

ポーン以外の駒でやっても構わないですが、ポーン以外の駒はポーンよりも大きいことが多いので、隠すのが難しい。

レティオープニング

まず、ベスはレティオープニングから始めます。

ポーンではなく初手に図の位置にナイトを動かすことをレティオープニングと呼びます。レティは昔の強豪チェスプレイヤーの名前です。

その後、ベスはガンツ氏をあっという間にチェックメイトしますが、彼女が指したと思われる手は2手目e4のギャンビットの変化です。

黒は白のポーンをただで取れますが、いろいろ罠を含んでいます。

ガンツ氏をチェックメイト 

上記の局面でベスは黒をチェックメイトにしました。

1.Qh5+ g6 2.Bxg6+ hxg6 3.Qxg6#

このガンツ氏、チェスクラブで教えているという割には弱すぎる気がしますが、まぁ、お話なので気にしないことにしましょう。

ガンツ氏とシャイベルの2面指し

次のシーンではベスはシャイベルとガンツを同時に相手にしています。このような対局を2面指しと呼び、通常強い側が二人同時に相手をすることでハンデを付けているというイメージです。この時点で既に力関係に差がついているということです。

レティのようなメイト

この2面指しの局面で、ガンツをチェックメイトにした変化ですが、レティのゲームへのオマージュになっています。レティは先ほどのオープニングの名前でも出てきましたが、20世紀初頭のチェスプレイヤーです。

上図の局面から、ベスは1.Qd8+ Kxd8 2.Bg5++ Kc7 3.Bd8#として黒をチェックメイトしました。このゲームは1910年のレティとタルタコワのゲームから取られています。興味のある方は下記を参照していください。

Richard Reti vs Savielly Tartakower (1910) Sucker Punch

Richard Reti vs Savielly Tartakower (1910) Sucker Punch
Viewable chess game Richard Reti vs Savielly Tartakower, 1910, with discussion forum and chess analysis features.

高校での同時対局

上記のガンツ氏との対局がきっかけになり、ベスは高校のチェスクラブのプレイヤーと同時対局をすることになりました。2面指しの上位バージョンといってもよく、相当強いプレイヤーが行うイベントです。既に天才少女扱いされていることが分かります。正直なところ、少し早過ぎる扱いかなと思います。いきなり見知らぬ少女と同時対局させられた男子高校生は少しかわいそうでした。

このシーンで自分が指した後の高校生をベスが不思議そうに眺める場面があります。これに対し、ガンツ氏は「全部回ったら相手が応じる」とベスに伝えます。これは同時対局のルールというかマナーのようなものです。対局相手は手を思いついてもすぐには手を指さず、同時対局をする人が1周して自分の前に来た際に手を指すことになっています。こうしないと相手が何を指したかわからなくなって困ります。

ベスはこの同時対局でも全勝し、その天才少女ぶりを見せつけました。

第1話まとめ

クイーンズギャンビット第1話のチェスに関係する話題全般をまとめてみました。ベスが薬依存になっていく話などは省きましたが、あの緑色の薬には興味がわきますね。あれがあれば脳内チェス盤ができるのでしょうか。

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