今回はチェスにおける直観について私なりに議論してみます。
チェスに直観はあるか
直観が働いた、などという言い方をすることがありますが、チェスにおいてもそんなことがあるでしょうか?人によってはチェスはロジックのゲームなので直観なんて幻想だと思う人もいるでしょう。
個人的な結論を言ってしまえば、直観はあります。私程度のプレイヤーでも対局中に直観が働くことがありますし、大抵の場合、その直観は正しいです。
直観とはどんなものか
直感の定義も人それぞれ色々あるとは思いますが、私が思う直観の条件は以下の三つです。
- 相手の手を見て瞬間に応手が浮かぶ
- 具体的な手順は読んでいない
- その手を支持する理屈が明確にはない
私は特に3つ目が大事だと思っています。理屈に合わない気がするけれどもこの手が良い、という感覚がとても直観的です。
最初の二つはポジショナルプレイの観点でも思い浮かびます。例えば、相手がポーンを突いてきて、それによりできたアウトポストにナイトを移動させる、という考えは、相手の応手を見てすぐ思い浮かびますし、具体的な手順は読んでいません。
NCS Sunday Cup 2021 GP5 R2
私が直近で自分の直観を感じた瞬間は昨年(2021年)のNCS Sunday Cup GP5、IMの南條君とのゲームでした。
上図の局面、白は既に残り時間13秒、黒も27秒でした。白はRxe4とポーンを取ってきましたが、この手を見た瞬間に悪手だと感じました。これも直観でしょう。
これに対して私が指した手が分かるでしょうか?見た瞬間にこの手が良い!と思ったのですが、明確な理由はわかりませんでした。
私の選択はRb4でした。この手で黒が良くなるという感覚がありました。確かにg4のポーンは取り返せますし、b4を取ってくれれば黒のポーン構造が回復します。ただ、なぜ即座にRb4だったのか自分でもよく分かりませんでした。ゲーム中は確かRe7+が問題ないことだけ確認し、Rb4を指しました。
気になる方は解析にかけていただければ分かりますが、このRb4、少なくともLichessのStockfishでは最善手です。このゲームはこの後、双方にミスがありながらもドローに落ち着きました。
直観はどこからくるのか
では、このような直観の起源はどこにあるのでしょうか。一つは、よく言われるようなパターン認識です。チェスでよく現れるような局面と典型的な手筋を覚える(?)ことで、似たような局面で瞬時に手が思い浮かぶという考えです(多分)。
しかし、これは私自身が感じている直観とは異なっています。上記のポジションは、見たこともない局面ですし、なんらかのパターンに当てはまっているとも思えません。
私も自分自身の直観について考えることがあるのですが、全ての手を瞬時に読んでいるのではないかと思うことがあります。上の南條戦のポジションを見ると、駒はある程度残っていますが、手の選択肢がほとんどないことがわかります。ビショップとクイーンはほとんど動けませんし、ポーンも効果的な手がなさそうです。残りはルークですが、意味があるというか相手に影響を与える手はRb4しかありません。つまり、1手読むだけで判断が付く選択肢しかないので、全ての手を網羅することも可能に思えます。
では、その読みのプロセスがなぜ瞬時に思いつくのかという話になります。
非言語化されたプロセス
私は、その読みが非言語化された脳のプロセスで行われているからではないかと思っています。
我々が手を読む際、目の前にあるチェス盤を使ってコマを動かしたり、取って取ってチェックして、、、、など一つ一つ手を読んでいきます。しかし、人間の脳って本当にそんな効率の悪いプロセスを行なっているのでしょうか。以前別記事でチェスを言語化することの限界について触れました。
この記事では、チェス自体を言語で完全には説明できないということについて語りましたが、今回は一歩進んで、我々のチェスに関する思考も言語で完全には説明できないと主張したいと思います。
我々は普段から言語を使って思考をしているので、それ以外認識方法が想像つきませんが、人間は(というか脳は)言語以外のさまざまなプロセスでものを考えているはずです。
プログラミングをやったことがある人であれば、プログラミング言語をコンピュータに直接読ませようとすると非常に処理が遅くなることを知っていると思います。通常はプログラムを「コンパイル」し、コンピュータに読みやすい(人間には読みにくい)形に変えます。
人間の直観は「コンパイル」された思考なのではないか、私はそんな風に思います。
まとめ
今回はチェスにおける直観についてお話しました。直観の有無、直観の起源など私なりの解釈を述べました。それが何の役に立つのか?もちろん、なんの役にも立ちません。この記事は私のコラムなので、好き勝手書かせてもらいました。
では、皆様、次の無駄話でもお会いしましょう。
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