Dvoretsky 最後のインタビュー パート3

皆さんはMark Dvoretskyをご存知でしょうか。有名な本を書いている人でしょ?というイメージかもしれません。元々は世界最高のチェストレーナーとして有名になった人です。2016年に亡くなり、その後Chessbaseのウェブサイトに彼の最後のインタビュー記事が3回に渡って載りました。当時非常に興味深く読み、ブログの記事でも取り上げようと思ったのですが、当時のブログに対する熱意が低く、結局記事にしないまま終わっていました。

今更という気もしたのですが、ブログのネタにもなりますし、今回取り扱おうと思います。今回はパート3です。

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パート3

今回もChessbaseの記事に沿って抜粋翻訳します。元記事が読みたい方は以下を参照ください。

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Dvoretskyが好きなチェス本

インタビューの中で、Dvoretskyはチェスの本を読む時間がないと述べていましたが、インタビュアーはあえて好きな本は何かを聞きます。

難しいね。昔はJohn Nunnの本を読むのが好きだった。素晴らしい書き手だよ。 Jonathan Rowson(訳注:イングランドのグランドマスター、小島君とのオリンピアードの試合は一度は見ておくべき)の2冊の本はよかったね。Chess for ZebrasSeven Deadly Chess Sinsだよ。彼はとても賢い書き手で、私のトレーニングの助けにもなった。残念なことに2冊目の本に関しては「Chukcha problem」のために未完成なんだけどね(訳注:正直意味が分からなかったんですが、Chukchaというのがロシアの少数民族でジョークに使われるらしいので、本の中で何かしらの表現上の問題があったのかもしれません)。だけど、いつも楽しく読んでいるよ。他には元通信チェスチャンピオンのGrigory Sanakoevの本などはトレーニングによく使っているよ。

自分の著作の中で最も好きなのは?

次にインタビュアーはDvoretskyの著作の中で最も気に入っている本はどれかと質問します。

最も「いい」著作はEndgame manualだろうね。みんなもそういっている。実際には違うのかもしれないが、重要な著作であることは間違いない。でも、「いい」著作が「好きな」著作である必要はないからね。好きな著作を選ぶのは難しいけれど、間違いなく言えるのは「恥ずかしい」著作は書いてないよ。(中略)私が「書くために」書いてこなかったからだと思うよ。

結局好きな著作については語ってくれませんでしたが、この後Andy Soltisの著作の評価が分かれるのはお金のために書かなければならない場合があったからだと言っています。それに対して、Dvoretskyはお金のために著作を書いたことがないと力強く語っています。

トレーナーとしては稼いでた?

著作はお金のために書いていないというDvoretsky、インタビュアーもDvoretskyの経済事情というか、生活の糧が気になってきたようです。

お金のために本を書いていないということですが、トレーニングもお金のためにはやっていないのですか?

インタビュアー

いや、それは違うよ。私は生活のためにたくさんの生徒たちをトレーニングしてきたけど、メインの生徒は違ったんだ。今、トレーニングを頼まれればお金を取るし、安くはない。YusupovやDolmatov、Zviagintsev、Dreev、のちには PopovやRiazentsev、Chernin相手にはお金のためではなかったね。Nana Alexandriaとの仕事ではお金を得ていたが、彼女からではなく、ジョージア当局からもらっていたよ。

もう少し丁寧に話したほうがいいかな。私は1974年ぐらいに強豪プレイヤーになった。ソビエト選手権で5位タイになったんだ。私は給付金、所属していたBurevestnikクラブからの定期的なお金を得るようになったんだ。より強いプレイヤーはスポーツ省からもらうし、そこまでではなければクラブからもらうんだ。その後私は試合にはあまりでなくなりトレーナーとして忙しくなった。クラブからお金をもらう理由はなかったんだけど、私がYusupovやDolmatovと別のクラブに移動することを恐れて支払いが続いた。正式なことではないけど、実質的には彼らのトレーナーをすることでお金をもらっていたんだ。

プロフィラクシスについて

プロフィラクシス(prophylaxis)とは相手の狙いを考えて、それを事前に防ぐような考え方や手のこと。Dvoretskyはプロフィラクシスの教祖のように扱われており、インタビュアーもこの概念について聞いています。

プロフィラクシスという言葉はAaron Nimzowitschに依るもので、彼の定義や実例は私がこの言葉に関する着想のヒントを与えてくれた。でも、彼は非常に狭い意味でこの言葉を使っていた。彼にとってはプロフィラクシスとは予防的な( prophylactic)手のことで、相手からの厄介なポーン突きを防ぐことだった。トレーナーとして仕事をするようになって、このプロフィラクシスがより広い意味で重要であることに気が付いたんだ。プロフィラクシスは一つのものの考え方なんだよ。正しい手を見つけるための考え方なんだ。(中略)だから私はプロフィラクシスという言葉を使わなかった。予防的な( prophylactic)考え方という言い方をしたんだ。

プロフィラクシスが私の著作の根幹であると言われることがあるけど、それは違う。私は著作やトレーニングでプロフィラクシスを頻繁に使うけれど、最も重要なことは何かといえば、知識ではなく実践的なスキルを磨くことだと答えるだろうね。

まとめ

全3回にわたってMark Dvoretskyの最後のインタビューを抜粋翻訳しましたが、どうだったでしょうか?興味をそそられた項目も多かったのではないでしょうか。一連の記事はあくまでも抜粋翻訳ですので、興味が沸いたらぜひ原文にあたってみてください。

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