Dvoretsky 最後のインタビュー

皆さんはMark Dvoretskyをご存知でしょうか。有名な本を書いている人でしょ?というイメージかもしれません。元々は世界最高のチェストレーナーとして有名になった人です。2016年に亡くなり、その後Chessbaseのウェブサイトに彼の最後のインタビュー記事が3回に渡って載りました。当時非常に興味深く読み、ブログの記事でも取り上げようと思ったのですが、当時のブログに対する熱意が低く、結局記事にしないまま終わっていました。

今更という気もしたのですが、ブログのネタにもなりますし、今回取り扱おうと思います。

スポンサーリンク

最後のインタビュー

Mark Dvoretskyの最後のインタビューはチェスの有名なデータベースChessbaseを販売しているChessbase社のウェブサイトで3回にわたって公開されました。私の記事ではその中から気になった個所を抜粋して翻訳します。今回は1つ目の記事の抜粋になります。

スポンサーリンク

プレイヤーとして

Mark Dvoretskyはインターナショナルマスターで、グランドマスターの称号を得ていません。しかし、実はかなりの強豪プレイヤーでした。私の知識としては確かThe Life and Games of Mikhail Talの中にゲームが載っており、「手堅いプレイヤーで、このトーナメントで負けなしだったけど、私は勝った」みたいなことをタリが言っていた覚えがあります。インタビュアーのSagar Shahも以下のように聞いています。

あなたはチェスプレイヤーとしてもかなりの強豪でした。もっとプレイヤーとして力を入れていれば高レベルのグランドマスターになれたのにとは思いませんか?実際、あなたはGMタイトルを持っておらず、IMです。不満に思うことはないですか?

インタビュアー

そのことを気に病んだことはないよ。ソビエト時代だった。海外でノームを取るトーナメントに参加する機会は限られていたんだ。(中略)私は世界で35番目ぐらいにランクしていた。もっと頑張れば20番ぐらいにはなれたかもしれない。でもね、私には自分が世界チャンピオンや挑戦者になることはできないってわかっていたんだ。有名なことわざを知ってるだろ?「ローマで2番になるよりも、村で一番になる方がいい」。もちろん、トレーナーとしての仕事はお金にもならないし、名声も得られない。でも私にはすぐに分かったんだ。この分野で誰よりもうまくやれることがね。だから、トレーナーとしての仕事に打ち込んだんだ。

最も才能に恵まれていた生徒は?

Mark Dvoretskyは有名なトレーナーですので、多くの才能あふれる生徒を抱えていました。最も才能豊かだった生徒はだれか、Dvoretskyは以下のように答えています。

最も成功したのはYusupovだろうね。世界3位だった。でも最も才能があったのはAlexey Dreevだ。カスパロフやカルポフにも負けてなかったと思う。若いころはカスパロフよりもいい結果を出していた。カスパロフがSoviet Masterになったのは15歳だけど、Dreevは13歳だった。(中略)疑いようもなく、その年代では誰よりも上だったんだ。

しかし、ソビエトのシステム、彼の家族、環境、住んでいた都市、そういったものが組み合わさって彼の成長を止めてしまった。海外に行く機会も少なかった。すべてが影響して、本物のスターになることができなかったんだ。彼は強いグランドマスターになったし、オリンピアードで国を代表している。悪くない結果だと思うが、彼にはもっと可能性があったんだ。

Alexei Dreev grandmaster.jpg
Dreev

アナンドとのトレーニング

アナンドは1995年にカスパロフとの世界戦を戦い敗れています。その数か月前にDvoretskyとトレーニングを行っていたそうです。その時のことを以下のように語っています。

1995年のカスパロフとのマッチの数か月前に彼とトレーニングをしたんだ。でも、あまりうまくいかなかったね。期間は6日間だった。このトレーニング中に集中して取り組んでほしいことがあったんだけど、彼にはできなかった。だから思うような結果が得られなかったよ。

何が問題だったんですか?

インタビュアー

アナンドはチェスに関する優れた感覚を持っている。すぐに指すし、ほとんど時間を掛けずに様々なことを理解する。もちろん、素晴らしいことだよ?でもね、ゆっくり考えなければならない局面というものがあるんだよ。もっと考えて、集中して、進む道を決める。いつ直観に従うべきか、いつ変化を読むべきか理解することが彼には重要だった。

我々のトピックはエンドゲームの向上だった。まず初めに、私はアナンドに伝えたんだ。このトレーニングを効果的なものにするためには、今言ったこと、―止まって、集中して、考えて、解析するーが重要だってね。彼は同意したよ。でもトレーニングを始めると数分と持たないんだ(笑)(中略)悲しかったよ。だって彼はいいやつだからね、成功させたかった。でも、そうはならなかったんだ。

アナンドはこのマッチで実際にエンドゲームでブランダーを指して負けています。そのことについても以下のように語っています。

(中略)アナンドは優勢を得た。でも、そんな単純なポジションじゃなかった。読みが必要だったんだ。でもアナンドほどのプレイヤーには難しくない。10分もあれば全て理解できたはずだ。

でも、彼は即座に指し、そして負けた。(中略)我々とのトレーニングで欠点を克服できていれば、結果は違うものだったかもしれない。

カスパロフについて

インタビューの中で、カスパロフについても面白いことを語っています。オープニング研究に注力したあまり、直観を失っているという評価をしています。

カスパロフとはボトビニクスクールで仕事をしただけだね。彼がとてつもない才能の持ち主であることは明らかだったよ。(中略)序盤で予期せぬことが起こるとナーバスになり、ドローオファーをしたり、単純な変化を選んだりする。悲しいことだよ。だって彼ほどの才能があれば、生じた問題をゲーム中に解決できるはずなんだ。序盤研究に注力したあまり、彼は自分の直観を信じられなくなり、すべてを知りたいと望むようになった。彼が若いころはそういった序盤の問題をうまく解決できていたんだ。その後、彼は自分の能力を信じなくなったんだ。

トパロフとのトレーニング

Veselin Topalov 2013.jpg

Dvoretskyはトパロフともトレーニングセッションを行ったそうです。トパロフの(悪名高き)マネージャーのダナイロフがトパロフのエンドゲーム能力に問題があるからと依頼してきたそうです。10日間のトレーニングに関してDvoretskyは以下のように語っています。

毎朝3時間のセッションを行って、お昼を取り、時にはビーチに行ってトレーニングを続けた。それが終わると宿題を出したよ。だから数時間のトレーニングと宿題だね。そして、信じてもらえるか分からないが、彼のレーティングは70-80上がり、ハイレベルないくつかのトーナメントを制した。エンドゲームは既に彼の弱点ではなかったんだ。

強いプレイヤーが長年の間抱えていた弱点をたったの10日で直せるんですか?

インタビュアー

我々にはできたんだよ(笑) この手の問題はよく知っているからね、10日もあれば十分だよ。トレーニングを始めた時、トパロフのことをタクティカルなプレイヤーだと思っていたけれど、彼の読みの能力はそれほどでもなかったんだ。うまく読めなくて、問題もほとんど解けなかったよ。だからまず、合理的な読みのテクニックについて説明した。それからエンドゲームに移ったんだ。そうしたら、ほぼすべての問題を解けるようになったよ。

この話はとても面白いと思います。要するにトパロフが抱えていた問題は実際にはエンドゲームではなかったということでしょう。一流のトレーナーはそういった問題点を見つけ出して修正する能力を持っているんでしょうね。トパロフは既にスーパーGMだったんですが、、、、

まとめ

今回はMark Dvoretskyの最後のインタビュー記事、第1回をご紹介しました。アナンドやトパロフのトレーニングの話は個人的に非常に印象に残りました。

Training for the Tournament Player

コメント

タイトルとURLをコピーしました